7月19日
新潟県新発田市法華寺(本田義昌住職)にてお施餓鬼法要に合わせ
法話にいってきました。
本田住職は
平成二十九年度大荒行堂で第再々行の寒壱百日を同行され、加行僧が唱えるお経の拍子をとる役目、全堂木証師を
100日間務められた素晴らしいお上人さまです。
テーマは『御縁の繋がり』について。
法華経「方便品第二」には、『仏種は縁によって起こるとしろしめす』とあり、すべてのご縁は私たち一人ひとりに大切な御縁なのだと、受け止めて生きていく取り方と、そうではない生き方では結果が全く違う。自分にとって良い縁でも、辛い縁であっても、全身全霊で感得することで、後の人生(成果)が違ってくる。その時は切なくても、その努力が後でジワジワと効いてくる。
コレを『時薬』と言う。
すんなり納まる「順縁」もあれば、逆に波が立つことで、本人の経験と成長を促す「逆縁」とがあり、まさに荒行堂の苦修錬行と同じようなもの。
切ないからこそ必死になって努力をする。
自らの為に・檀信徒の為にも。
その結果が自然と檀信徒の皆様にジワジワと伝わってくる。有難いお題目のご縁に繋がることに気付くことが出来る。
時として、我々の人生の中で「自分さえ良ければよい」と言う「焦りや迷い」が芽生えたら、どんどん・どんどん心が小さくなって、あらぬ方向を向いていく。
「如来壽量品第十六」に説かれる『転倒の衆生』。
まるで心が逆さまになってしまう。『正直者は馬鹿を見る・騙すより騙される方が悪い』などと。そんなバカな話はない。まさに、あべこべの世の中になってしまう。
これに対し日蓮大聖人は
『南無妙法蓮華経と唱うるを心を磨くとは言うなり』とお説きになられた。
お題目を唱えるということは御先祖様のご供養にも繋がり、間違った自らの心を磨いてくれることにもなるとお示しになられた。
「袖ふれ合うも他生の縁」いま私たちがお唱えする御題目は父母の縁・他生の縁・過去の縁(過去に自らが努力したことで溜まる功徳)・又、これからの未来につながるご縁(未来の子孫に残す功徳)。
このご縁に気付き、自らの足元を省みて、ご縁に触れ、人と人・ご先祖様とのご縁を真面目に考えて欲しい。
今あるご縁に感謝し、いまお唱え出来る御題目の縁に感謝し自らが光り輝く仏様になれるよう精進していただきたい。
辺り一面・身の回りのすべてに有難いご縁があり、それを感じ考える事で「すべてが教え」となる。
すべてがお題目の御縁であり、目の前の試練を有難く素直に頂くことで自身の成長を促すことにつながる。
まさに仏様からの試練と、人生の経験とがご縁となり人生経験の宝物となる。
と一時間お話をさせていただきました😃



